宮芸ブログ

絵を描くことは夢を見ること?

昨日、Amazonで予約していた、村上春樹のロングインタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』が届きました。まだパラパラッとしか読んでませんが、とにかく内容もさることながら題名がすばらしいですね。かっこいい!
 

絵でも小説でもいわゆる芸術の世界というのは、夢を見ることと深く関わっているように思えます。眠ったときに見る夢というのは、絵とか芸術と同じように、それは無意識と呼ばれるものの働きでしょうが、社会をつくりあげているのとはちがう原理に突き動かされています。
社会的なものの外へ越え出ていこうとする衝動や合理性を越える英知がそこにはあるように思えます。

芸術人類学中沢新一著 によると、現生人類だけが、外の現実にしばられることのない自由な「心」をもっていて、だから、非現実的なことを思いついたり、実行したりする、ある意味「狂った生物」でもあると。どんなまともな人も心の内面には、まともでないものを抱えもっていて、良くも悪くもそんな自由な心を持っているからこそ、人類だけが、宗教と芸術を生み出したとさえ言えるかも知れないと。
妄想をいだくことがなく、自然と過不足のない対応を実現しているほかの生物は、宗教も芸術もつくろうとしなかったと。なんとネアンデルタール人には芸術がなかったらしいです。だからもしかすると夢も見なかったのかもしれませんね。全然関係ないかもしれませんが、確かに、現実の忙しさにどっぷりつかっているときは実際は見ているのかもしれないけど、夢を見ていないです。

で、こうした自由な心というのは、合理的な社会生活のなかでは、あまり表に出せませんし、それだけになると社会そのものが作れなくなります。だから、自分の心のほんとうの部分、心のいちばんの源泉になっている部分を抑圧しなければならないのです。それが心の活動の表面にあらわれてこないように「深層」に沈めたり、その活動に制限を加えようとします。そうしないと「合理的」な行動ができないからです。

でも、そうして社会に対応したとしても、自分たちの心の本質に向かいあおうとする自由な心は動きたがります。そこに絵とか芸術をやっていく意味というのがあるのだと思います。ようは意識と無意識、社会性と自然体のバランスをとろうってことなんでしょうが、その無意識とか自然体側にあるのが、絵を含む芸術ってことなんですね。よく絵を描くのはいったい何の役に立つのっていわれるけど、このあたりに回答のひとつがあるのかもしれませんよ。

efbdb1efbe99efbe80e3839fe383a9e3838ee6b49ee7aa9fe794bb

アルタミラの洞窟画 ここから芸術が始まった。

«  | 絵を描くことは夢を見ること? |  »